下井上村(読み)しもいのうえむら

日本歴史地名大系 「下井上村」の解説

下井上村
しもいのうえむら

[現在地名]八代市竹原たけはら

井上村の西南に位置する。円墳一〇基の竹原古墳群がある。「国誌」は天武天皇九年妙見神が八代郡土北とぎた八千把やちわ村竹原ノ津に伝来したと伝える。「八代市史」は竹原ノ津を当村の小村竹原の地とし、当時はこの一帯までが八代海に面していたと推定する。慶安二年(一六四九)の八代知行分高并人畜ノ書付(松井家文書)に村名がみえ、現高一七九石五斗余、門数五・家数一八、人数二五、馬五、真綿一五匁(代銀一匁五分)を納めていた。


下井上村
しもいのうえむら

[現在地名]飯能市井上

上井上村に四周を囲まれた村。下我野しもあがの村から分立した井上村がさらに上・下に分れて成立。成立時期は幕府領から上総久留里藩領になった享保一七年(一七三二)頃とみられる。同一九年の「下我野村之内下井上」の明細帳(井上家文書)によれば、高三二石余、反別五町四反余(田二反余・畑五町二反余)。永として紬売出七八文二分・紙売出四八文・紙舟役二一八文・川運上二七文などがあった。稲の品種には黒北国・おにがいそうがあったが、米質が悪く年貢米は石代金で上納している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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