日本歴史地名大系 「下光永村」の解説 下光永村しもみつながむら 大分県:大分市旧大南町地区下光永村[現在地名]大分市下判田(しもはんだ) 片野(かたの)・大興寺(だいこうじ)・居村(いむら)・辰口(たつぐち)・東新川(ひがししんかわ)・西新川(にししんかわ)・豊田(とよだ)・中(なか)ノ原(はる)、中判田(なかはんだ) 立小野(たちおの)、上判田(かみはんだ) 板山(いたやま)北流する大野川左岸の村で池上(いけのうえ)村の上流にあたる。正保郷帳では西の上光永村とともに光永村として高付され、田高五三二石余・畑高二七四石余、清田(きよた)郷に所属。元禄一一年(一六九八)の御代官所郷帳(臼杵藩政史料)によれば下光永村の高五九四石余。寛永一一年(一六三四)亀川藩(のち中津留藩・高松藩)領になったと考えられ、正保郷帳では高松藩松平(大給)忠昭領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by