日本歴史地名大系 「下六栗村」の解説 下六栗村しもむつぐりむら 愛知県:額田郡幸田町下六栗村[現在地名]幸田町六栗(むつぐり)幡豆(はず)郡に属し、中世期は村域東部は菱池(ひしいけ)沼に面していた。一七世紀初頭に菱池沼開発が進み、江尻(えじり)川で額田郡芦谷(あしのや)村と接する。西は須美(すみ)村で山と接し、南は上六栗村、北は野場(のば)村と各々耕地で接する。村域内を南北に中島(なかじま)道が通る。中世は吉良東条(きらとうじよう)(現幡豆郡吉良町)の吉良氏支配になったと考えられ、大永三年(一五二三)に松平義春の支配に代わることが羽角(はすみ)(現西尾市)馬頭(ばとう)天王への寄進状で判明し、村域花籠(はなかご)の二〇貫文が寄進されている(幡豆郡神社誌)。<資料は省略されています>弘治二年(一五五六)日近(ひちか)城(現額田町)攻めで義春戦死後は領主は一時不明である。永禄六年(一五六三)三河一向一揆では六栗城主として一揆側に夏目吉信の名があり、深溝(ふこうず)松平伊忠に鎮庄され、深溝松平領になる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by