下内野村(読み)しもうちのむら

日本歴史地名大系 「下内野村」の解説

下内野村
しもうちのむら

[現在地名]五和町下内野

二江ふたえ村の南に位置し、内野川へ西から山浦やまうら川が合流する付近に開けた小村。内陸部のため海沿いの二江村とは気温差がみられ、二江ではそのまま地植えで繁茂する亜熱帯植物アロエも、当地では冬期寒さのために枯れることがある。慶長国絵図に内野と記され、正保郷帳に高四三〇石九斗余とある。井手組に属し、庄屋は高橋家。万治二年(一六五九)石高半減により二四八石九斗余となった(天草風土考)。「国志草稿」に竈数四〇・男女数三一一とあり、真宗延教えんきよう(現円教寺)の寺名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む