日本歴史地名大系 「下内野村」の解説 下内野村しもうちのむら 熊本県:天草郡五和町下内野村[現在地名]五和町下内野二江(ふたえ)村の南に位置し、内野川へ西から山浦(やまうら)川が合流する付近に開けた小村。内陸部のため海沿いの二江村とは気温差がみられ、二江ではそのまま地植えで繁茂する亜熱帯植物アロエも、当地では冬期寒さのために枯れることがある。慶長国絵図に内野と記され、正保郷帳に高四三〇石九斗余とある。井手組に属し、庄屋は高橋家。万治二年(一六五九)石高半減により二四八石九斗余となった(天草風土考)。「国志草稿」に竈数四〇・男女数三一一とあり、真宗延教(えんきよう)寺(現円教寺)の寺名がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by