下吉谷村(読み)しもよしたにむら

日本歴史地名大系 「下吉谷村」の解説

下吉谷村
しもよしたにむら

[現在地名]鳥越村下吉谷

釜清水かましみず村の南東に位置し、集落は手取川左岸の河岸段丘上にある。仮名付帳は「しもよしだに」と訓ずる。中世には上吉谷村とともに吉谷と称され、のち二村に分村したと考えられる。当村の北部には、新開によって一村立てとなった松原まつばら村があった。元亨元年(一三二一)四月一〇日の六波羅御教書(南禅寺文書)に「山内庄地頭吉谷五郎」の名がみえ、子息虎犬丸が佐羅さら別宮べつく神主と号して得橋とくはし(現能美郡)内佐羅村に狼藉を加えたため、同郷領主の京都南禅寺雑掌覚賢に訴えられ、吉谷五郎は虎犬丸の召喚を命じられている。永享一〇年(一四三八)正月一一日の藤原満宗寄進状(祇陀寺文書)祇陀ぎだ(現吉野谷村)に寄進された畠地の一所に「小野山」がみえ、その四至に「東は吉谷のたうげをさかう」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む