下土居城跡(読み)しもどいじようあと

日本歴史地名大系 「下土居城跡」の解説

下土居城跡
しもどいじようあと

[現在地名]相生市若狭野町下土井 太田林山

矢野やの庄の中心部に築かれていた中世の山城跡。東に矢野川、西に小河おうご川が流れる細長い丘陵(標高約一一〇メートル)上に立地し、両川は南側山裾で合流している。文永四年(一二六七)岡豊前守により築城されたという。その後歴代岡氏が在城したが、慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原合戦で宇喜多氏に従軍し、同氏の没落とともに廃城となり、岡氏は八洞はつとう村で帰農したという(岡城記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む