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宇喜多氏 うきたうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

宇喜多氏
うきたうじ

源氏。鎌倉時代に備前児島の地頭となり,その後同国宇喜田に移って宇喜田 (宇喜多,浮田) 氏を称した。直家のとき主家浦上氏を滅ぼして播磨を支配。その子秀家 (→宇喜多秀家 ) は秀吉の五大老の一人となったが,関ヶ原の戦いで大敗し,慶長 11 (1606) 年八丈島に流され,断絶。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

宇喜多氏
うきたうじ

室町・安土(あづち)桃山時代の備前(びぜん)の豪族。浮田、宇喜田とも書く。遠祖は未詳。1469年(文明1)から宇喜多入道宝昌(ほうしょう)、宗家(むねいえ)、久家(ひさいえ)らの名がみえ始め、久家の子能家(よしいえ)は、備前守護代浦上(うらがみ)氏の重臣として砥石(といし)城(岡山県瀬戸内市邑久(おく)町)に居城した。1534年(天文3)、能家の敗死により一時没落するが、孫直家(なおいえ)は、備前松田氏、備中三村(びっちゅうみむら)氏などを滅ぼし、73年(天正1)岡山に本城を構え、77年、主家の浦上氏を倒して備前をはじめ備中、美作(みまさか)にまで勢力を拡大した。79年、羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀吉に帰順し、その子秀家(ひでいえ)は、豊臣政権下で備前、美作、備中東半47万4000石(一説に57万4000石)を領し、五大老の一人となるが、関ヶ原の戦いに敗れ、1606年(慶長11)、八丈島に流罪となり宇喜多氏は滅んだ。[舘鼻 誠]
『『岡山市史 第2巻』(1936・岡山市役所/復刻版・1975・明治文献) ▽谷口澄夫著『岡山藩』(1964・吉川弘文館)』

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