日本歴史地名大系 「下坂田村」の解説 下坂田村しもさかたむら 茨城県:新治郡新治村下坂田村[現在地名]新治村下坂田西は上坂田村。村の北半は台地で、南半は桜川沿いに水田地帯となっている。江戸時代は土浦藩領で、「寛文朱印留」に村名が載る。元禄郷帳の村高は五八七石余。山根(やまね)八ヵ村の一つで藺草作りが行われ、「新編常陸国誌」によれば、村は横田(よこた)・塙(はなわ)・谷津(やつ)・新田坪(しんでんつぼ)に分れていた。 下坂田村しもさかだむら 大分県:竹田市下坂田村[現在地名]竹田市下坂田大野川支流の久住(くじゆう)川西岸に位置し、東は米納(よない)村、北は深迫(ふかさこ)村。正保・元禄・天保の各郷帳にはみえない。弘化物成帳では北尾鶴組のうち、村位は中、免九ツ、田二一二石余(一九町六反余)・畑九〇石余(一四町四反余)・屋敷七石余(七反余)で、開田六斗余(三反余)・開畑一石余(二町八反余)がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by