デジタル大辞泉
「久住」の意味・読み・例文・類語
く‐じゅう〔‐ヂユウ〕【久住】
長くとどまること。また、久しく定住すること。
「一には娑婆に―して、常に説法して」〈盛衰記・一八〉
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く‐じゅう‥ヂュウ【久住】
- 〘 名詞 〙 仏語。久しく止まること。また、久しく一定の境界または場所に住むこと。永住すること。
- [初出の実例]「奉行の正当恁麽時に、現成の公案ありとも、公案の始成にあらず、公案の久住にあらず」(出典:正法眼蔵(1231‐53)諸悪莫作)
- [その他の文献]〔大集経‐五一〕
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久住
くじゅう
大分県南西部,竹田市北西部の旧町域。九重火山群 (→九重山 ) の南斜面を占める。 1920年町制。 1954年白丹村と合体。 1955年都野村と合体して久住都町となるが,1957年久住町に復した。 2005年竹田市,荻町,直入町と合体し,竹田市となる。中心集落の久住は江戸時代は熊本藩に属し,熊本と鶴崎 (大分市) を結ぶ街道の宿駅として発展。樹枝状の谷底に展開する水田耕作を中心に,高冷地野菜の栽培,高原を利用した畜産が行なわれている。県の大規模機械化農場や種畜場などもある。阿蘇くじゅう国立公園に属し,観光・保養地となっており,久住山,久住高原,大船山などの観光地のほか,久住赤川温泉,法華院温泉,七里田温泉がある。大船山のミヤマキリシマ群落は国の天然記念物。
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久住
くじゅう
大分県南西部、直入(なおいり)郡にあった旧町名(久住町(まち))。現在は竹田市(たけたし)の北西部にあたる地域。1920年(大正9)久住村が町制施行。1954年(昭和29)白丹(しらに)村と合併。1955年都野(みやこの)村と合併して久住都(くじゅうみやこ)町となり、1957年久住町と改称。2005年(平成17)竹田市に合併。旧町名は中世以来の村名による。国道442号が通じる。久住高原の牧牛と、その侵食谷の米作が主産業。トマト、キャベツ、ピーマンなどの高原野菜もつくられる。中心の久住地区は旧熊本藩領、肥後街道の宿場町として発達した。久住山(1787メートル)、大船山(たいせんざん)(1786メートル)一帯や、久住高原は阿蘇くじゅう国立公園(あそくじゅうこくりつこうえん)の一部。法華院(ほっけいん)温泉、赤川温泉、七里田温泉(しちりだおんせん)など温泉も多い。
[兼子俊一]
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久住[町]【くじゅう】
大分県西部,直入(なおいり)郡の旧町。九重(くじゅう)火山群南麓の山地を占める。中心市街は江戸時代肥後街道の宿駅として発達。米,野菜,シイタケ,花卉(かき)などを産し,肉牛などの畜産も盛ん。北部のくじゅう連山,南部の九住高原は阿蘇くじゅう国立公園に属する。2005年4月直入郡荻町,直入町と竹田市へ編入。142.69km2。4933人(2003)。
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普及版 字通
「久住」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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