下坂部村(読み)しもさかべむら

日本歴史地名大系 「下坂部村」の解説

下坂部村
しもさかべむら

[現在地名]尼崎市下坂部一―四丁目・久々知くくち一丁目・同三丁目・若王寺なこうじ三丁目

久々知村の東に位置し、古代部民坂合部の居住地であったかと推定されている(尼崎市史)。文安二年(一四四五)の興福寺東金堂庄々免田等目録帳(天理大学附属天理図書館蔵)雀部ささいべ寺領として大嶋おおしま庄・浜田はまだ庄とともに下坂部庄がみえ、田数は六二町七反小であった。慶長国絵図に下坂辺村とみえ高五二一石余。元和三年(一六一七)の摂津一国御改帳に下坂部村とある。正保郷帳も同高。元和元年池田重利領となり、同三年から尼崎藩領となったが、寛永二〇年(一六四三)青山氏のとき分知により旗本青山幸正・青山幸高の相給となり明治に至る(尼崎市史)。享保二〇年(一七三五)摂河泉石高調では青山幸亮(幸正系)領高三二一石余・青山幸房(幸高系)領高二〇〇石。青山幸正系分の寛延二年(一七四九)の村明細帳(沢田家文書)によれば反別一九町八反余、うち田方一六町八反余・畑方二町九反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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