日本歴史地名大系 「下壱分方村」の解説 下壱分方村しもいちぶかたむら 東京都:八王子市下壱分方村[現在地名]八王子市諏訪町(すわまち)・四谷町(よつやまち)・叶谷町(かのうやまち)・泉町(いずみちよう)北浅(きたあさ)川中流域に立地し、南端を佐野川(さのがわ)往還(現陣馬街道)が通る。西は上壱分方村。北浅川と城山(しろやま)川、南浅川と北浅川が合流する一帯であるため、水利は便なるものの氾濫による被害も免れなかった。田園簿に下壱分方村とみえ、田八八石余・畑一九〇石余で幕府領、ほか住吉明神領一〇石・相則(そうそく)(相即)寺領一〇石余・西蓮(さいれん)寺領一〇石余。元禄郷帳では高四〇三石余。享保六年(一七二一)の山之根村高改帳では高家長沢領三七三石余。以後幕末まで同領であったと考えられる。「風土記稿」では民戸一六〇、小名諏訪宿(すわしゆく)に高札場が置かれた。安政二年(一八五五)の組合村々覚(関根家文書)では家数一三〇・人別六七七、馬一三。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by