下妻村(読み)しもつまむら

日本歴史地名大系 「下妻村」の解説

下妻村
しもつまむら

[現在地名]筑後市下妻

沖端おきのはた川右岸に位置し、西は馬間田ままだ村・富安とみやす村、東は山門やまと本郷ほんごう(現瀬高町)中世下妻庄が成立。天正一五年(一五八七)一〇月一三日の立花統虎知行坪付(水田天満宮文書)によると、下妻村の四九町などが太宰府天満宮の大鳥居信寛に安堵されている。文禄四年(一五九五)の知行方目録では「下つま村」とみえ、高一千九二石余。江戸時代の本高は一千六五三石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高二千一二〇石・役高一千五五〇石。享和二年(一八〇二)の春免高帳によると八五五石と七〇一石の二筆。文化四年(一八〇七)の畝付帳では本田八三町九反余・畑田三町三反余・畑八町余・居屋敷一町三反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報