下妻町
しもつままち
[現在地名]下妻市下妻
東は大宝沼、西は砂沼で区切られた下妻台地南端にある。寛正三年(一四六二)に多賀谷家植が下妻城に入城した後に開かれた城下町で、以後同氏が慶長六年(一六〇一)改易となるまで支配した。同七年に伊奈忠次によって検地が行われ、下妻町は城廻村(相原山・西町・栗山・峰・小野子・本宿・上宿・坂本など)、東当郷村(不動宿・下子町・田町)、西当郷村(大町)、南当郷村(三道地・新町・上町・下町・横町など)の四村に分割されて村町となったが、その後も四村は下妻町と通称された。正徳二年(一七一二)に井上氏が下妻に入封、下妻陣屋を核にして幕末まで藩領支配を続けたが、下妻藩領はとくに城付領とよばれ、四村のほかに長塚村・長塚新田・前河原村の三村合せて二千二六〇石ほどであった(下妻市史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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