日本歴史地名大系 「下孫村」の解説 下孫村しもまごむら 茨城県:日立市下孫村[現在地名]日立市鮎川(あゆかわ)町一丁目・同三―四丁目・国分(こくぶ)町一―三丁目・多賀(たが)町一―五丁目海岸段丘面にあり、東は海。ほぼ中央を桜川が東流、南側を岩城相馬(いわきそうま)街道が縦貫し、北と西は油縄子(ゆなご)・諏訪(すわ)・大久保(おおくぼ)の三村。寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高の河原子(かわらご)村の項に「下孫共ニ」とみえ、同二一年の御知行割郷帳に「下孫村」と記される。元禄年中(一六八八―一七〇四)に市が立ち、文政八年(一八二五)の岡部玄徳著「岡部盤竜子故事物語」に「下孫村市ノ公事ハ元禄十三年辰極月廿三日下孫村ニテ市ヲ立ソロ故当邑(大久保村)ト懸リ合ニナリ候也」とあり、「当邑」は大久保村である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by