日本歴史地名大系 「下宗方村」の解説 下宗方村しもむなかたむら 大分県:大分市旧大分町地区下宗方村[現在地名]大分市下宗方大分川と七瀬(ななせ)川の合流点にある沖積地帯に位置し、西は雄城(おぎ)村と上宗方村。大分川の宮瀬(みやがせ)渡で畑中(はたけなか)村に通じ(「豊後国志」など)、雄城村から東進する肥後街道が当村南側の枝村八幡田(はちまんだ)村で七瀬川を渡り、光吉(みつよし)村に入る。八幡田村と雄城村の境に「従是東臼杵領」の境木があった(桜翁雑誌)。建武三年(一三三六)府中を警固していた稙田寂円は、宮瀬において対岸沿いに府中に向かう南朝軍を発見、船岡に追上げて敵を射殺した(六月日「稙田寂円軍忠状」伊東東蒐集文書)。江戸時代を通じて臼杵藩領で、慶長一一年(一六〇六)の惣御高頭御帳に宗方村とみえ、下宗方村を含んで高一千三六石余、宗方村組。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by