下宝来村(読み)しもほうらいむら

日本歴史地名大系 「下宝来村」の解説

下宝来村
しもほうらいむら

[現在地名]大宮市宝来

別所(べつしよ)村の西に位置し、大部分が荒川の沖積低地に立地する。西は下谷原(しもやはら)(「したやはら」ともいう)流作場。別所村との境近くを与野町へ通ずる道が通る。蓬来村とも記した(武蔵志)。当地一帯は近世初期には差扇(さしおうぎ)領村々の入会地であった。当村鎮守神明社の由緒書によると、慶長年間(一五九六―一六一五)には下谷(しもや)村と称し、三〇軒ほどの小集落であったという。田園簿には差扇領宝来野とみえ、野高一〇六石余。寛文四年(一六六四)差扇領の領主山内氏によって開発が進められ(風土記稿)、翌五年の上尾宿助馬調(「絵図面村々高」田中家文書)に「ほうらい新田」とあり、勤高の記載はないが独立した一村として助郷負担が課されている。さらに天和二年(一六八二)荒川沿いに新たに水除堤を築き、堤内を開墾して宝来村と名付けたとされ(風土記稿)、のち上・下に分村した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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