下小屋村(読み)しもごやむら

日本歴史地名大系 「下小屋村」の解説

下小屋村
しもごやむら

[現在地名]大信村下小屋

村の南側を東流する隈戸くまど川河岸段丘上に位置し、岩瀬郡に属した。南は増見ますみ村、東は町屋まちや村、北は丹波楯たんばたて山を地境として大里おおさと(現天栄村)。東は町屋村を経て奥州道中矢吹やぶき(現矢吹町)に至り、西は上小屋村を通る白河街道に至る。初め会津領、寛永四年(一六二七)白河藩領、慶応二年(一八六六)以後幕府領。天正一八年(一五九〇)青木紀伊守(羽柴一矩)の奥州御検地目録(木下家文書)に「一百四拾四貫六百三十五文、此米七百九拾五石四斗九升弐合五勺、同郡永沼之内 下小屋滝村」とあり、奥州検地に携わった羽柴一矩の検地目録である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む