下川手村(読み)しもかわてむら

日本歴史地名大系 「下川手村」の解説

下川手村
しもかわてむら

[現在地名]岐阜市下川手・東川手ひがしかわて西川手にしかわて朝霧町あさぎりちよう荒川町あらかわちよう石切町いしきりちよう大倉町おおくらちよう神楽町かぐらちよう光樹町こうきちよう向陽町こうようちよう島原町しまばらちよう正法寺町しようぼうじちよう城東通じようとうどおり中洲町なかすちよう畷町なわてまち西明見町にしあけみちよう東明見町ひがしあけみちよう宮北町みやきたちよう村里町むらさとちよう八坂町やさかちよう薬師町やくしちよう八島町やしまちよう矢倉町やくらちよう若杉町わかすぎちよう

茜部あかなべ村の東に位置し、北・東は上川手村。さかい川と荒田あらた川に挟まれた平坦地の細長い村で、南北に岐阜町と笠松かさまつ(現羽島郡笠松町)を結ぶ道が通る。集落は南北中央に位置。中世には上川手村を含めた一帯には、平田ひらた庄のうち革手かわて郷が成立していた。同郷は三郷に分れ、延徳元年(一四八九)九月二〇日の大印房有歓売券(熊野那智大社文書)に「下河手」とみえる。天正一〇年(一五八二)一一月、織田信孝福蔵ふくぞう(現浄土真宗正福寺)禁制を下している(「織田信孝禁制写」福蔵坊文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む