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織田信孝 おだのぶたか

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

織田信孝
おだのぶたか

[生]永禄1(1558).尾張,清洲
[没]天正11(1583).5.2. 尾張,内海
安土桃山時代の武将。信長の3男。通称は三七または三七郎。伊勢神戸氏の養子となり,神戸信孝ともいう。天正5 (1577) 年雑賀の一向一揆を討ち,同 10年四国を征伐してこれに封じられた。本能寺の変後,岐阜城主となったが,のち相続問題で豊臣秀吉や兄信雄 (→織田信雄 ) と争い,味方とした柴田勝家が敗死するとともにくだり,追われて自刃。

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デジタル大辞泉の解説

おだ‐のぶたか【織田信孝】

[1558~1583]安土桃山時代の武将。信長の三男。本能寺の変後、豊臣秀吉とともに明智光秀を破った。のち、柴田勝家とともに秀吉と対立。兄信雄に攻められて降伏し、自殺。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

織田信孝 おだ-のぶたか

1558-1583 織豊時代の武将。
永禄(えいろく)元年生まれ。織田信長の3男。信長の命で伊勢(いせ)(三重県)の神戸具盛(かんべ-とももり)の養子となる。天正(てんしょう)10年本能寺の変の際は四国攻めの総大将であったが,羽柴(豊臣)秀吉と合流,明智(あけち)光秀を討つ。清洲(きよす)会議後,美濃(みの)岐阜城主。のち秀吉と対立,柴田勝家とくんで挙兵するが賤ケ岳(しずがたけ)の戦いで勝家が敗れたため岐阜を開城,天正11年5月2日自害。26歳。
【格言など】むかしより主をうつみのうらなればむくいをまてや羽柴筑前(辞世)

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朝日日本歴史人物事典の解説

織田信孝

没年:天正11.5.2(1583.6.21)
生年:永禄1(1558)
安土桃山時代の武将。織田信長の3男。幼名は三七。次男とされる信雄より出生は20日ほど早かったが,母が信長の側室坂氏だったため,信雄の方を兄にしたとする説もある。信雄と同じように,永禄11(1568)年,父信長の命令で北伊勢の豪族神戸具盛の養子となり,神戸氏を称した。元亀2(1571)年正月,具盛の隠退により家督を継ぎ,神戸領は織田領に組みこまれる。以後,天正2(1574)年の伊勢長島一向一揆との戦,翌年の越前一向一揆との戦など,信長の戦いの主なものには出陣している。天正10年の本能寺の変のとき,信孝は四国攻めの総大将として渡海するため大坂にいた。変報が届いたとき,大坂には明智光秀の聟津田信澄もいたが,まずこれを殺し,兵を率いて秀吉の軍勢に合流している。信孝は清洲会議で織田家の家督として指名される希望を持っていたが,かなわなかったので,次第に同じく不満を持つ柴田勝家と強く結びつくようになり,岐阜城に籠もって豊臣秀吉に抵抗した。ところが,岐阜城を包囲されると信孝は母の坂氏を人質に出し,その場をとりつくろう。翌11年4月の賤ケ岳の戦で勝家が敗れ自刃したあと,兄信雄の勧めで岐阜城を開城し,尾張知多半島の突端,野間の内海に幽閉され,結局,切腹させられている。<参考文献>小和田哲男『織田家の人びと』

(小和田哲男)

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世界大百科事典 第2版の解説

おだのぶたか【織田信孝】

1558‐83(永禄1‐天正11)
安土桃山時代の武将。信長の三男。幼名は三七(郎)。信長が北伊勢を征し神戸(かんべ)具盛と和したとき,その養子とされる。各地の一向一揆平定などで戦功をあげる。1582年(天正10)6月,四国攻めのため摂津住吉浦に滞陣中,本能寺の変に遭い,軍を返して羽柴(豊臣)秀吉とともに明智光秀を破る。その後兄信雄(のぶかつ)と織田家の継嗣をめぐって争うが果たせず,柴田勝家が秀吉と争うに至ると勝家にくみした。同年12月いったん秀吉に和を請うが,翌年賤ヶ岳の戦で再挙兵,信雄に攻められ降伏。

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大辞林 第三版の解説

おだのぶたか【織田信孝】

1558~1583) 安土桃山時代の武将。信長の三男。本能寺の変後、豊臣秀吉とともに明智光秀を討つ。のち柴田勝家と結んで、秀吉および異母兄信雄と対立して敗れ自刃。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

織田信孝
おだのぶたか
(1558―1583)

安土(あづち)桃山時代の武将。通称三七郎(さんしちろう)。信長の三男、信雄(のぶかつ)の異母弟。1571年(元亀2)北伊勢(いせ)の神戸具盛(かんべとももり)を織田氏が征服したのち養子として入り、神戸信孝ともいう。伊勢長島、越前(えちぜん)の一向一揆(いっこういっき)との戦闘、雑賀(さいか)攻め、荒木村重の有岡城攻略などに従軍、82年(天正10)四国攻めの総大将として摂津にあるとき本能寺の変となる。山崎合戦では羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀吉と連合して明智光秀(あけちみつひで)を討つ。清洲(きよす)会議では継嗣(けいし)を望んで次兄信雄と争ったが、秀吉に退けられ、長兄信忠(のぶただ)の遺領美濃(みの)(岐阜県)を得て岐阜城主となる。柴田勝家(しばたかついえ)と連合して秀吉に対抗、岐阜城を囲まれ降伏、83年再挙、柴田滅亡により城を出て、尾張(おわり)知多郡内海(愛知県南知多町)に移り、野間(美浜(みはま)町)大御堂寺(おおみどうじ)(現、安養院)で自尽する。5月2日、4月29日など異説がある。法名昭雲院殿高厳徳公。[脇田 修]

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世界大百科事典内の織田信孝の言及

【賤ヶ岳の戦】より

…1583年(天正11)4月近江国賤ヶ岳付近でおこなわれた羽柴(豊臣)秀吉と柴田勝家の戦い。織田信長の死後,秀吉と勝家の勢力争いに信長の遺子信雄(のぶかつ)と信孝の争いが加わったものである。1582年12月秀吉は越前北ノ庄の勝家が雪で兵を出せないのに乗じて,勝家の属城近江長浜城を攻略,勝家と結んだ岐阜城の信孝を下した。翌年正月勝家と結んだ滝川一益が伊勢で挙兵したので,秀吉は信雄と結んで攻撃した。勝家は雪どけを待って佐久間盛政を先発させ,北国街道の柳ヶ瀬に陣した。…

【山崎の戦】より

…1582年(天正10)6月13日羽柴(豊臣)秀吉,織田信孝らが山城乙訓郡山崎付近で明智光秀を破った戦い。備中高松城を攻囲中に本能寺の変を知り直ちに毛利氏と講和,6日播磨姫路に帰った秀吉は,摂津の諸将を糾合して富田に着陣,信孝らの兵を合わせ,軍を山手,中手道筋,川手の三手に分け13日進撃し,一方これより前に山崎の天王山を占領させていた。…

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