日本歴史地名大系 「下平木村」の解説 下平木村しもひらぎむら 滋賀県:八日市市下平木村[現在地名]八日市市平田町(ひらたちよう)野口(のぐち)村の北西、瓶割(かめわり)山東麓にある。戦国期のものと推定される馬足子交名(今堀日吉神社文書)に「ひらき」の馬五郎らの名がみえる。天正一九年(一五九一)四月の徳川家康知行目録写(大谷文書)に「下平木」一七四石余とある。寛永石高帳では一八五石余、彦根藩領。平木村とよばれることもあった。村域東部に蒲生(がもう)野の西端にあたる字蒲生野(がもうの)がある。ここから西方穴所(あなところ)・野上(のかみ)にかけては明治初年までは一面の林野地で、季節によっては蛇砂(へびすな)川上流からの遊水地ともされていた。明治以後同川の延長により下流への排水が可能になると林野地の開拓が進められた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by