日本歴史地名大系 「下広谷村」の解説 下広谷村しもひろやむら 埼玉県:川越市下広谷村[現在地名]川越市下広谷・竹野(たけの)小堤(こづつみ)村の北西、大谷(おおや)川流域の低地および台地に立地。高麗(こま)郡に属した。もと上広谷村・五味(ごみ)ヶ谷(や)村(現鶴ヶ島市)と一村であったが、まず五味ヶ谷村が分村し、次いで広谷村が慶安元年(一六四八)の検地により上・下に分村したという(風土記稿)。小田原衆所領役帳に小田原衆の御宿隼人佑の所領として「廿六貫五百卅六文 入西勝之内広野」とみえ、弘治元年(一五五五)に検地が実施されていた。田園簿に広谷村とみえ、田高三〇六石余・畑高二七八石余・野高六石、ほかに野銭永二貫六八〇文、川越藩領と旗本三家の相給。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by