下曾我屋村(読み)しもそがやむら

日本歴史地名大系 「下曾我屋村」の解説

下曾我屋村
しもそがやむら

[現在地名]岐阜市曾我屋そがや

上曾我屋村の南隣で、郷帳類では同村とともに曾我屋村として把握された。領主の変遷は上曾我屋村と同様に推移したが、宝暦五年(一七五五)当村は幕府領で大垣藩預所となって上下に分村し、明和七年(一七七〇)幕府代官の管下に置かれ、享和三年(一八〇三)陸奥平藩領となり幕末に至った(岐阜県史)。明和八年の村明細帳によれば高五五二石余・諸引残高五四三石余、田四一七石余・三二町一反余、畑一二六石余・一二町余。田のうち一一町は二毛作。家数八七(うち高持百姓六九)・人数三三一、馬一五、稲の品種は早稲・弥六・より出し・越中・ちご・花落で、早稲四町・中稲三町・晩稲二五町の割合であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

一月五日ごろから二月二、三日ごろの、小寒、大寒合わせた約三〇日間。寒中(かんちゅう)。《 季語・冬 》[初出の実例]「寒(カン)の中 薬喰 声つかふ 酒作 紅粉(べに) 門垢離(かどごり)」(出典:俳...

寒の内の用語解説を読む