岡山県南東部にある市。1951年(昭和26)和気(わけ)郡片上(かたかみ)、伊部(いんべ)の2町が合併して備前町となり、1955年和気郡香登(かがと)町、伊里(いり)町、鶴山(つるやま)村と邑久(おく)郡鶴山村と合併。1971年和気郡三石(みついし)町と合併して市制施行。2005年(平成17)和気郡日生(ひなせ)、吉永(よしなが)の2町と合併。丘陵性山地が多く、中央部に瀬戸内海の片上湾が湾入している。南部をJR赤穂(あこう)線と国道2号が並行して走り、中東部を山陽本線と山陽自動車道が走る。このほか国道250号、374号、岡山ブルーライン(県道寒河本庄(そうごほんじょう)岡山線)が通じる。『和名抄(わみょうしょう)』の香止(かがと)郷、坂長(さかなが)郷、新田(にふた)郷の地。中心地区の片上は往時方上津(かたかみのつ)とよばれた良港であった。中世には香登庄(しょう)、新田新庄、三石保(みついしのほ)などの荘園(しょうえん)があった。平安末期には西部の熊山一帯に須恵器(すえき)の窯が築かれ、室町期には伊部に多くの窯がつくられ、伊部焼(現在の備前焼)のすり鉢、甕(かめ)、壺(つぼ)などの日用雑器が生産された。近世は岡山藩領で、三石、片上は山陽道の宿場として栄えた。また、3代藩主池田光政(みつまさ)は閑谷(しずたに)に庶民の子弟教育を主体とした郷校の閑谷黌(こう)(旧閑谷学校。特別史跡)を建てた。主要産業は窯業で、伊部を中心とする伝統的な備前焼と、片上、三石を中心とする耐火れんが工業がある。後者は三石に産するろう石を主原料とし、全国の約30%のシェアを有する。窯業振興の拠点として「岡山セラミックスセンター」や、備前焼伝統産業会館がある。南東部の日生では漁業、北部の吉永ではクレー工業が盛ん。国指定史跡に丸山古墳、伊部南大窯跡、重要文化財に閑谷黌の講堂(国宝)や真光寺の本堂や三重塔などがある。伊部には備前市立備前焼ミュージアムがある。そのほか、市内にはBIZEN中南米美術館、歴史民俗資料館などがある。面積は258.14平方キロメートル、人口3万2320(2020)。
[由比浜省吾]
『『和気郡史』全8巻(1981~2002・和気郡史刊行会)』▽『『備前市二十年の歩み』(1991・備前市)』
岡山県南東部にある市。2005年3月旧備前市と日生(ひなせ)町,吉永(よしなが)町が合体して成立した。人口3万7839(2010)。
備前市中西部の旧市。1971年備前町と三石(みついし)町が合体,市制。人口2万8683(2000)。西部は岡山平野の一部,中央南部は片上湾沿岸,東部は吉井川支流の金剛川の流域である。香登(かがと)は中世の香登荘の地で,片上と三石は近世の山陽道の宿場町として発達,伊部(いんべ)は備前焼(伊部焼)の産地である。三石はまた蠟石で知られるが,蠟石は慶長年間(1596-1615)に発見され,明治期には学童の石筆に使用された。1890年からは耐火煉瓦の原料として利用され,三石と片上に耐火煉瓦を製造する工場群がある。市の中心地は片上で,港を有し,JR赤穂線が通じる。また柵原(やなはら)鉱山に至る片上鉄道の起点であったが,この鉄道は柵原鉱山の閉鎖(1991)以後振るわず,廃止された。山陽自動車道のインターチェンジがある。閑谷(しずたに)には藩政時代に庶民の子弟教育を行った閑谷学校(国宝)がある。
執筆者:由比浜 省吾
備前市南東端の旧町で,瀬戸内海に面する。旧和気(わけ)郡所属。人口8563(2000)。町域に大多府(おおたぶ)島,頭(かしら)島,鴻(こう)島,鹿久居(かくい)島などの日生諸島を含み,東境は赤穂市南方海上の取揚島に及ぶ。中心集落の日生は古くからの漁村で,藩政時代には岡山藩の水夫(かこ)(船頭)が居住した。現在も日生港を基地に漁業が行われるが,カキ,ハマチなどの養殖漁業への転換が進んでいる。また耐火煉瓦や漁網製造などの工場や,海運業も盛んである。海岸線に沿って国道250号線,JR赤穂線が通じる。
備前市北部の旧町。旧和気郡所属。人口5288(2000)。吉井川の支流金剛川中流域に位置し,東は兵庫県に接する。吉備高原の一角を占め,南部を西流する金剛川と中央部を南流する八塔寺(はつとうじ)川の合流点付近に中心集落の吉永があり,金剛川に沿ってJR山陽本線が通じる。耕地に乏しく第2次産業の従事者が多い。南隣の旧備前市三石(みついし)とともに蠟石の産地として知られ,かつてクレーを多産したが,現在は代わって耐火煉瓦の製造,機械工業が興っている。吉備高原東端の平たん面上にある八塔寺は,弓削道鏡の開基と伝えられ,かつて〈西の高野山〉といわれるほど繁栄した八塔寺の門前集落であった。和意谷(わいだに)には岡山藩主池田家の墓所がある。
執筆者:上田 雅子
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…須恵器系の中世陶器には,平安時代の須恵器の伝統をひきながら,鎌倉時代後期に茶褐色の酸化炎焼成に転じたものと,須恵器の製作技術をそのまま継承した還元炎焼成による灰黒色の陶器の2種が焼かれている。前者を代表するものは備前(備前焼)である。後者は東北地方から九州まで全国各地において広範に焼かれていることが,近年明らかとなってきた。…
…しかし,朝日,古曾部,赤膚は遠州の活動期以後の窯である。他方,松平不昧が著した《瀬戸陶器濫觴(らんしよう)》では,遠州時代の国焼として高取,薩摩,肥後,丹波,膳所,唐津,備前の7窯をあげており,これらの窯は遠州時代に活動していた窯であった。この二つの資料のうち,共通している高取焼と膳所焼はたしかに遠州との結びつきも深いが,全体として七窯の選択根拠ははなはだあいまいで,信憑性は薄い。…
※「備前」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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