下有佐村
しもありさむら
[現在地名]鏡町有佐・下有佐
東は宮原村・上有佐村(現宮原町)、南は小路村、西は内田村、北は上鏡村と接し、村内を中道往還が南北に走る。有佐村は古くは荒佐村とよばれ、近世になり上有佐村・下有佐村と分れ、さらに当村から内田村が分村した。村の一部は古くから氷川の三角洲を形成していたとみられ、字大塚に有佐貝塚がある。下益城郡豊野村浄水寺跡に残る天長三年(八二六)の浄水寺々領之碑に「三条荒佐里・十一条荒佐里・十二条荒佐里」などがみえ、条里が施行されていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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