下条町(読み)しもじようまち

日本歴史地名大系 「下条町」の解説

下条町
しもじようまち

[現在地名]山形市下条町一―四丁目・肴町さかなまちなど

皆川みながわ町・肴町の西にある。城下の北西端に位置し、南西端のうわ(上条町)と対をなしてした町とも称した。城下から出羽三山に向かう六十里越街道の口にあたり、最上義光時代に鉄砲衆の居住地として町割された。最上義光分限帳(色川文書)によると、下町に小人二六人が居住していた。最上氏時代城下絵図では街道の両側に侍屋敷があり、西側には三一軒の侍名が記される。「従是北鉄炮衆」と記される別本もある。

元禄一〇年(一六九七)の屋敷家数等覚(山形故実録)によれば、本通りの下条町口門前より同町外れまでの町の長さ六町三三間・幅三間、石橋三。北肴町境より下条町出張りまで三町五五間・幅三間一尺、石橋一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む