日本歴史地名大系 「下東山村」の解説 下東山村しもひがしやまむら 山形県:山形市旧東村山郡地区下東山村[現在地名]山形市下東山・寺西(てらにし)・上柳(かみやなぎ)・下柳(しもやなぎ)・豊風(とよかぜ)・こも石(こもいし)上東山村の北西に位置し、高瀬(たかせ)川東岸段丘とこれに続く山地に立地する山村。江戸時代初期は上東山村とともに東山村一村であったが、寛文八年(一六六八)には上下に分れている(同年「年貢割付状」東山地区文書)。明和六年(一七六九)の村明細帳(秋元文庫)によれば下東山村の高八三四石余、反別六〇町一反余、家数一四二(うち本百姓六九・名子水呑七三)・人数六五四。近隣の風間(かざま)・青柳(あおやぎ)・七浦(ななうら)・漆山(うるしやま)、芳賀(はが)(現天童市)の諸村に高一六五石余の出作地があった。御林は一三ヵ所五一一町余。畑作物は麦・大豆・紅花・煙草など、農間に男は薪を伐り出し山形城下へ売り、女は木綿織に従事した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by