下津井砲台跡(読み)しもついほうだいあと

日本歴史地名大系 「下津井砲台跡」の解説

下津井砲台跡
しもついほうだいあと

ペリー来航後の海防策として、岡山藩が下津井港一帯に築いた砲台跡。文久三年(一八六三)五月一九日、御貝太鼓奉行牧野権六郎が下津井台場築立の普請御用を命ぜられた(牧野権六郎先生伝)。牧野は同年四月からすでに下津井に出入りしており(「諸御用留帳」西尾文書)、「児島郡誌」は同年六月一八日起工、一〇月下旬完成とする。年未詳の伏砲場拾ヶ所図面(池田家文庫)には、田之浦(たのうら)・祇園下(ぎおんした)・西之脇(にしのわき)の三ヵ所に台場、石(いし)ノ塔(とう)・扇(おうぎ)ノ乢(たわ)・平松庵(へいしようあん)・堀切(ほりきり)・円福寺山(えんぷくじやま)・天王山・灯籠端西手南之分(とうろうばたにしてみなみのぶん)・灯籠端・灯籠端西手北之分・犀(さい)ノ乢(たわ)の一〇ヵ所に伏砲場が描かれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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