日本歴史地名大系 「下津井村」の解説
下津井村
しもついむら
南と西は瀬戸内海に面し、東は
寿永二年(一一八三)七月、西海に逃れた平氏一門・安徳天皇らは下津井から出帆し鎮西に至っている(「吾妻鏡」同三年二月二〇日条)。「平家物語」巻九(六ヶ度軍)によると平教盛・通盛・教経父子が下津井にいると聞き、阿波・讃岐の在庁らが攻めている。文安二年(一四四五)の「兵庫北関入船納帳」によれば、米・豆・大麦・塩・鰒干物・小鰯などを積んだ当地からの船が兵庫北関へ入津しており、延べ三二回は備前では
「備陽記」や「備前記」によると、以前は
下津井村
しもついむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報