下津城跡(読み)おりづじようあと

日本歴史地名大系 「下津城跡」の解説

下津城跡
おりづじようあと

[現在地名]稲沢市下津町

青木あおき川と岐阜街道の間の高戸たかどと称する小高地を本丸として約一〇〇メートル四方に及び、二の丸・三の丸跡の存在も推定されたが、昭和三四年(一九五九)以降の土地改良事業で平地となった。現在下津小学校の南に「下津城址」の碑がある。尾張守護代織田敏広の居城で、文正元年(一四六六)頃「大路小路城門きど々々櫓々」(文正記)があった。文明八年(一四七六)犬山城主織田敏定は下津城を焼払い、兄敏広の軍を国府宮こうのみやに退陣させ(和漢合符)、翌九年守護所は下津から清須きよす(現西春日井郡清洲町)へ移った(「惣社参詣記」塩尻所収)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む