下津尾村(読み)しもつおむら

日本歴史地名大系 「下津尾村」の解説

下津尾村
しもつおむら

[現在地名]犬飼町下津尾

犬飼町の北、大野川西岸にある。北を稲積いなづみ川、中央部を宇津尾木うつおぎ川、南を柴北しばきた川が東流し大野川に合流する。天文七年(一五三八)一一月吉日の紀年のある船戸ふなど熊野社の石鳥居銘に「下津尾」とある。文禄二年(一五九三)以降岡藩領。正保郷帳には井田いだ郷として村名がみえ、田高九〇石余・畑高七四石余、茅山有と注記される。同帳および元禄・天保の各郷帳では犬飼町・野首のくび村分を含み、野首村が別に記される旧高旧領取調帳では下津尾村の高二二三石余。安永七年(一七七八)には田原組に属した(大庄屋・小庄屋・横目一覧「農民一揆」所収)。明治八年(一八七五)野首・真萱まかや内河うちがわの三ヵ村と合併。

下津尾村
しもつおむら

[現在地名]春日井市下津町

中切なかぎり村の東にある。庄内川を挟んで吉根きつこ(現名古屋市)と対する。「尾張国地名考」に「津は乃字のもじの格なり、尾は二義あり、山の垂尾と岡となり、此村は下之岡しもつおにや猶考ふべし」とある。尾は「さるを」(猿尾のことで、流水によって土砂が削り取られるのを防ぐ仕組。方言)のことで、常に厳重に設置していたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報