下浅見村(読み)しもあざみむら

日本歴史地名大系 「下浅見村」の解説

下浅見村
しもあざみむら

[現在地名]児玉町下浅見

入浅見いりあざみ村の北東に位置し、西は蛭川ひるがわ村。かつては入浅見村とともに阿佐美といわれ、児玉党阿佐美氏の名字の地とされるが、天正(一五七三―九二)頃までに分村したとみられる。寛永二年(一六二五)一二月、朝日十右衛門(近吉)は徳川氏から当村で五〇〇石を宛行われた(記録御用所本古文書)。田園簿によると田方二五〇石・畑方二五〇石、旗本朝日領(幕末に至る)。寛文一三年(一六七三)名寄帳では田畑六六町余、延宝七年(一六七九)には田方三二町五反余・畑方三九町六反余となっている(下浅見村地誌)。宝暦一〇年(一七六〇)の年貢付状(関根家文書)においても、田方三一町四反余・畑方三九町七反余と大差なく、このうち居屋敷約二町歩は畑方に含まれる。文政一二年(一八二九)の地頭所よりの申渡書(同文書)によると、享保期(一七一六―三六)以降の年貢高は、同七年の検見により七二六俵余と決められたが、翌八年五八一俵余、同一六年五七四俵余と急減し、この一〇ヵ年の平均は六四六俵余であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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