下深田村(読み)しもふかたむら

日本歴史地名大系 「下深田村」の解説

下深田村
しもふかたむら

[現在地名]三田市下深田・弥生(やよい)が丘(おか)・富士(ふじ)が丘(おか)

三田村の西、武庫(むこ)川右岸の平野部に位置し、地内を同川支流深田谷(ふかたたに)川が東流する。慶長国絵図には二つの深田村が並記され、両村の高七二五石余。正保郷帳では深田村一村で高付され、高一千一二八石余。貞享四年(一六八七)に上深田・下深田の二村に分離したという(有馬郡誌)。御領分御高付覚(九鬼家文書)では下深田村の高六〇五石余。しかし以降も郷帳類では深田村一村で高付される。享保二〇年(一七三五)の摂河泉石高調では深田村高一千一三六石余。天保郷帳では深田村高一千一五六石余。明治五年(一八七二)の戸数三七(下前家文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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