精選版 日本国語大辞典 「三田村」の意味・読み・例文・類語
みたむら【三田村】
- 姓氏の一つ。
三田町の西から南にかけて、武庫川と
江戸時代三田村内に三田藩の陣屋が置かれ、三田町が成立し分離。領内においては別に高付されたが、郷帳類では江戸時代を通して三田村一村で高付けられた。
高田郡の最南端に位置する村で、北は
「和名抄」所載の高田郡三田郷の地であるが、古代の三田郷は現白木町一帯を含み、三田村域のみではない。ただし鎌倉中期頃のものと思われる安芸国衙領注進状(田所文書)に「三田郷九町」とあるのが古代の三田郷より
観応三年(一三五二)六月一三日の将軍足利尊氏禁制写(県史三)に「覚薗寺領相模国毛利庄内、妻田・散田・荻野郷」とある。至徳三年(一三八六)六月一五日、官宣旨(同書)に「散田」、応永二六年(一四一九)六月三日、関東公方足利持氏御教書(同書)では「相模国散田郷」とある。この史料によると
慶長検地高目録によれば村高一九三石余、小物成二石九斗五升。寛政一一年(一七九九)の三田村持高当作高并人別御調ニ付書上帳(堀江家文書)によれば家数五〇(寺一・高持三七・無高一二)、人数二〇六(僧一・男一一一・女九四)、牛二二。大工職二人、木挽職一人、鍛冶職四人、屋根葺職一人、桶屋職一人、紙漉奉公一人、江戸詰中間奉公二人、奉公一五人、日々稼一人がいた。文政三年(一八二〇)の山保田組在々家数人数并牛馬増減調帳(同文書)では家数五四で内訳は高持四〇・無高九・無高隠居家四・寺一、居村稼人一八七、他組奉公稼一、他郡出稼八、牛二一、馬三。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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