下湯日村(読み)しもゆいむら

日本歴史地名大系 「下湯日村」の解説

下湯日村
しもゆいむら

[現在地名]島田市湯日

沼伏ぬまぶし村・岡田おかだ村・南原みなみはら村の西に位置する。村内高坂こうさか冷泉が湧くことから湯井と称され、のち湯日に転じたという(掛川誌稿)。当村一帯は大古海底から隆起したものと考えられ、字はたから貝の化石が多く発見されている。古代・中世質侶しとろ庄湯日郷の後身と推測される。永禄一二年(一五六九)一月二八日、徳川家康は鶴見佐渡守旧領の「湯井・かまつか」の一〇〇貫文の地ほかを朝比奈十左衛門尉らに宛行っている(「徳川家康判物」朝比奈文書)。文禄二年(一五九三)一一月一一日の榛原郡湯日村御検地(滝家文書)によれば、掛川城主山内一豊の検地による高五九六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報