下神梅村(読み)しもかんばいむら

日本歴史地名大系 「下神梅村」の解説

下神梅村
しもかんばいむら

[現在地名]大間々町下神梅

渡良瀬川の右岸断崖上にあり勢多(せた)郡に属する。東対岸は塩原(しおばら)村、西は尾根を境に奥沢(おくざわ)村(現勢多郡新里村)。古くは深沢(ふかざわ)村と称したという。銅山(あかがね)街道は北方上神梅村から当村の西北を通り、手振(ぶり)山の西方の急坂を越えて二軒在家(にけんざいけ)村に通じる。もとは神梅村一村であったが、寛文一一年(一六七一)上・下に分れたという(郡村誌)。寛文郷帳によると神梅村の高二三九石余、うち田方二六石余・畑方二一三石余、館林藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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