下羽太村(読み)しもはぶとむら

日本歴史地名大系 「下羽太村」の解説

下羽太村
しもはぶとむら

[現在地名]西郷村羽太はぶと

真名子まなご川流域の河岸段丘上にあり、南は山を隔てて鶴生つりゆう村・熊倉くまぐら村、北東飯土用いいとよ(現大信村)北西は上羽太村。宝永四年(一七〇七)羽太村が上・下に分村した。本村のうちに狸屋敷たぬきやしき原屋敷はらやしき地名があり、本村の北西一里一七町にうち、戸ノ内の南一町三〇間に南屋敷みなみやしきの集落がある(白河風土記)。文保二年(一三一八)二月一六日の関東下知状(熱海白川文書)によれば、白河庄のうちに「葉太」とあり、周辺の郷村とともに結城盛広の地頭職が確認されている。初め会津領、寛永四年(一六二七)白河藩領、慶応二年(一八六六)以後幕府領。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高九一〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む