白河庄(読み)しらかわのしよう

日本歴史地名大系 「白河庄」の解説

白河庄
しらかわのしよう

安田やすだ町・笹神ささかみ村・水原すいばら町・きよう村および現豊栄とよさか市の一部に展開していた庄園。長承三年(一一三四)八月二八日の越後国司庁宣(九条家文書)に「白川庄」とみえ、関白藤原忠通の所領として成立。忠通は娘の皇嘉門院聖子に、聖子は治承四年(一一八〇)五月一一日養子の九条良通(聖子の弟九条兼実の長子)に「ゑちこ しらかハ」を譲る(「皇嘉門院惣処分状」同文書)。文治四年(一一八八)良通が早世したため、遺領は実父兼実の管領となり、少なくとも一五世紀半ば九条政基の代までは九条家領として伝領された(「経覚私要鈔」宝徳四年四月二六日条など)。ただし「吾妻鏡」文治二年三月一二日条に載る乃貢未済庄々注文には当庄は殿下(摂政近衛基通)領となっており、九条家は領家職を保持(建武三年八月二四日「九条家政所注進当知行地目録案」九条家文書)。預所職は安貞二年(一二二八)六月に侍従能忠朝臣の相伝が認められている(「宜秋門院庁下文」同文書)

田数は、仁平二年(一一五二)に藤原忠通の使源行忠が行った検注では本田三〇〇町。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報