下船原村(読み)しもふなばらむら

日本歴史地名大系 「下船原村」の解説

下船原村
しもふなばらむら

[現在地名]天城湯ヶ島町下船原

狩野かの川の上流と西へ入った支流の船原川との合流地点から同川沿いにあり、北は青羽根あおばね村。もと西の上船原村と一村で船原村といった。慶長一二年(一六〇七)上下の船原村に分離したという(増訂豆州志稿)。延宝五年(一六七七)の「伊豆鏡」では高二七〇石余。元禄初年高帳によると新田高四斗余。江戸時代初期は幕府領。宝永四年(一七〇七)上野高崎藩領、享保二年(一七一七)幕府領となり、安永七年(一七七八)相模荻野山中藩領となって幕末まで続く(韮山町史)。万治三年(一六六〇)の狩野山中五人組帳(大城家文書)には本村四六名・新田三名・名主一名が載る。宝永三年の年貢割付状(小川家文書)によると茶畑上木年貢二斗四升四合・楮役永三三文七分。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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