船原村(読み)ふねのはらむら

日本歴史地名大系 「船原村」の解説

船原村
ふねのはらむら

[現在地名]山内町大字鳥海とのみ字船ノ原

現山内町の南西部、神六じんろく山の西の中腹から麓にかけて位置する。

弘安四年(一二八一)八月一〇日付の肥前国守護北条時定書下(山代文書)に参加御家人六名の名があり、「船原三郎」の名がみえる。船原三郎は松浦党一族で船ノ原村を領していたらしい。慶長絵図に「船原」とある。

この村には、壇ノ浦の合戦で敗れた平氏残党、平維盛の子六之助をはじめとする一団が入り込み、時の塚崎つかざき領主後藤常明が久間くま(現藤津郡塩田町)に知行地を与えたという伝承がある。

この村の神六山の北面は頂上近くまで山地棚田に開墾されている。


船原村
ふなばらむら

船原川沿いの上船原・下船原にあたる。下船原すけ神社の天文二年(一五三三)九月二四日の棟札銘に「船原ママ進諸旦那」とある。同七年三月九日に長岡ながおか(現伊豆長岡町)の九郎衛門が北条氏から伊豆国中革作の統率を命じられるが、革作一人が船原にいた(「北条家朱印状」宮本文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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