日本歴史地名大系 「下草柳村」の解説 下草柳村しもそうやぎむら 神奈川県:大和市下草柳村[現在地名]大和市下草柳・中央(ちゆうおう)一―七丁目・草柳(そうやぎ)一―三丁目・柳橋(やなぎばし)一―二丁目・同四丁目・上草柳(かみそうやぎ)一―二丁目引地(ひきじ)川上流の両岸に位置し、北は上草柳村、東は深見(ふかみ)村、南は福田(ふくだ)村に接する。「風土記稿」は慶長年間(一五九六―一六一五)に深見村から草柳村が分村し、さらに正保年間(一六四四―四八)以前に上下に分村したという。正保国絵図に「下草柳村」とみえる。近世は初め幕府直轄領と旗本石川領、慶長六年幕府直轄領分の一部が旗本宅間領となり、元和二年(一六一六)幕府直轄領分は旗本駒井領となる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by