大和市(読み)ヤマトシ

日本歴史地名大系 「大和市」の解説

大和市
やまとし

面積:二八・五九平方キロ

境(さかい)川右岸の相模野(さがみの)台地上に位置し、市域はかつて高座(こうざ)郡に属した。北は相模原市、東は東京都町田(まちだ)市・横浜市瀬谷(せや)区・戸塚(とつか)区、南は藤沢市、西は綾瀬(あやせ)市・海老名(えびな)市・座間(ざま)市に接する。標高は約三〇―九〇メートルほどで、全体として南方向へ傾斜している。上草柳(かみそうやぎ)を水源とする引地(ひきじ)川が西部を南流する。

中央北部を東名高速道路が東西に通り、国道一六号は北部東端を南北に、同二四六号は北部をほぼ東西に通る。主要地方道は中央東寄りを南北に藤沢―町田線、中央南方を東西に横浜―厚木線、南部を東西に丸子―中山―茅ヶ崎線が通る。小田急電鉄江ノ島線が縦走し、中央部で相模鉄道線、南部では東海道新幹線が交差する。北部東端には東京急行電鉄田園都市線がつきみ野駅まで通じ、昭和六〇年に江ノ島線中央林間駅と連絡される予定である。

〔原始・古代〕

境川支流の目黒(めぐろ)川流域の月見野(つきみの)遺跡群、上野(かみの)遺跡、境川右岸の深見城(ふかみじよう)ヶ岡(おか)遺跡・同諏訪山(すわやま)遺跡・上和田城山(かみわだじようやま)遺跡、引地川沿いの上草柳第一地点遺跡・上草柳東(あずま)ヶ里(さと)遺跡などをはじめ、段丘崖の張出部などに先土器遺跡が多数分布している。縄文遺跡は少ないが、草創期の土器片が上野遺跡や深見諏訪山遺跡などから比較的まとまって発見され、上草柳第三地点東(ひがし)遺跡からは中期の竪穴住居跡三基が集石遺構とともに確認されている。弥生遺跡はわずかの遺物が採集されているにすぎない。七世紀頃の下鶴間浅間神社西(しもつるませんげんじんじやにし)横穴群からは、人骨のほか直刀や鏑矢などが発見された。上野遺跡では一〇世紀頃の竪穴住居跡が発掘され、内部からは有力者の在住を想定させる石帯や硯などの遺物が出土している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大和市」の意味・わかりやすい解説

大和〔市〕
やまと

神奈川県中部,相模原台地中部にある市。 1956年渋谷村を編入,59年市制。市名は大きく和するとの意で改称された前村名を引継いだもの。水利に恵まれない台地が大部分であったため,長く原野として残され,江戸時代末から養蚕が行われていた。南西部から綾瀬市にまたがる地域に 1943年海軍工廠,海軍航空隊の駐屯地がおかれ,第2次世界大戦後はアメリカ軍基地となっている。 1950年代後半から住宅,工場が建設され,人口増加が著しい。小田急電鉄江ノ島線,相模鉄道大和駅周辺は,両線で分断されていた駅前が相模鉄道地下化により一体化され,整備が進められている。ほかに東京急行電鉄田園都市線,国道 246号線,467号線などが通って,東京,横浜への交通が至便。面積 27.09km2。人口 23万9169(2020)。

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