下藤原山村(読み)しもふじはらやまむら

日本歴史地名大系 「下藤原山村」の解説

下藤原山村
しもふじはらやまむら

[現在地名]三瀬村大字藤原字はらたに大佐古おおさこ神有かみあり、大字三瀬字広瀬ひろせ岸高きしたか土師はじ

高瀬たかせ川および鳴瀬なるせ川沿いに開けた所である。現三瀬村の中では平坦部が多い。慶長絵図に「藤原」とあり、正保絵図に村名がみえる。江戸時代には佐賀藩の藩有林管理のため山留と称される山方役人が置かれていた。

平安時代末から鎌倉時代にかけてこの地を領有したのは藤原鎌足の末孫藤原内匠といわれる。この内匠が建久二年(一一九一)上京の際海上で暴風雨に遭い、ひたすら八竜神に加護を祈ったところ無事岸に着くことができたので、翌年八竜宮を造建した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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