下谷常楽院門前(読み)したやじようらくいんもんぜん

日本歴史地名大系 「下谷常楽院門前」の解説

下谷常楽院門前
したやじようらくいんもんぜん

[現在地名]台東区上野うえの四丁目

上野北大門うえのきただいもん町の北、下谷広小路(上野広小路)の東側にある。六阿弥陀の第五番目である天台宗常楽院の門前町屋。境内に家作ができたのは寛永三年(一六二六)で、元禄一六年(一七〇三)寺社奉行検分により三方折回し七三間・裏行五間に正式に門前町屋が許された。延享二年(一七四五)には支配が寺社奉行から町奉行に変わっている。東は上野町二丁目の通り、西は広小路を挟んで上野元黒門うえのもとくろもん町。町の規模は東西は二五間一尺、南北は東方三五間一尺・西方一五間四尺、片側町。文政九年(一八二六)の家数二三、うち家守一・地借一九・店借三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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