常楽院
じようらくいん
[現在地名]飯能市高山
長沢川の源流近くの山中にある。高貴山と号し、高山不動尊の名で知られる。真言宗智山派。本尊軍荼利明王。常楽院はもと高山不動堂の別当寺であった。元和二年(一六一六)の常楽院良円目安状(常楽院文書)によると、高山不動堂は霊亀年中(七一五―七一七)行基の開基で寺号を長覚寺と称し、寺中に常楽院・宝性院の二ヵ院が設けられたという。不動堂はもと山嶺上にあったが、天文年間(一五三二―五五)火災で焼失、天正一八年(一五九〇)現在地に再興され(風土記稿)、同一九年一一月には徳川家康から吾野郷内で二石を寄進された(「徳川家康朱印状」常楽院文書)。
常楽院
じようらくいん
[現在地名]吹上町田尻
中島にあった天台宗の盲僧寺。現在は宮崎県日南市板敷にある天台宗常楽院の管轄下にあり、飛地境内となっている。「常楽院沿革史」によると、島津忠久は源頼朝の指示に従い逢坂山(現滋賀県大津市)の妙音寺常楽院の宝山を伴って入薩した。当時中島には広い湖があったが、宝山はここに持参の妙音天を安置しようと祈願したところ、満願の日に湖から竜が昇天し、その跡が平地となったので常楽院を建立したという。
常楽院
じようらくいん
[現在地名]豊野村中間
山号は龍峯山、真言宗醍醐寺派。本尊不動明王祇園牛頭天王。小熊野川の上流(中間川)の川沿いにあり、木立に囲まれている。「国誌」などは次のように記す。当初は京都醍醐寺から下行した聖慶が八代郡高田(現八代市)に開寺、その後元亀二年(一五七一)慶翁の代に八代郡岡中村(現八代市)に転寺、龍峯山玉泉寺と号した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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