日本歴史地名大系 「下谷御徒町一丁目」の解説 下谷御徒町一丁目したやおかちまちいつちようめ 東京都:台東区旧下谷区地区下谷御徒町一丁目[現在地名]台東区台東一―三丁目明治五年(一八七二)に起立。南北に通る和泉橋(いずみばし)通の東側を占め、西側は南半が神田松永(かんだまつなが)町(現千代田区)、北半が下谷仲(したやなか)御徒(おかち)町一丁目。東は道路を隔てて下谷二長(したやにちよう)町(旧伊勢久居藩藤堂氏上屋敷や交代寄合生駒氏の屋敷など)。文久二年(一八六二)改正の尾張屋版切絵図の和泉橋通に「此通御徒町ト云」と記されている。町名は二丁目・三丁目も含めて御徒組の屋敷が多かったことに由来する。古くは下谷村の内であったが、正保年間(一六四四―四八)にはすでに御徒衆の住宅地に変貌していた(正保江戸絵図)。寛文新板江戸絵図には下野大田原藩大田原氏の屋敷が現れる。沿革図書によれば延宝年間(一六七三―八一)には御徒組大縄地が北部にあり、宝暦二年(一七五二)には南部に伊勢久居藩藤堂氏の別邸もみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by