日本歴史地名大系 「下谷本村」の解説 下谷本村しもやもとむら 神奈川県:横浜市緑区下谷本村[現在地名]緑区下谷本町・千草台(ちぐさだい)・市(いち)ヶ尾(お)町・上谷本(かみやもと)町・柿の木台(かきのきだい)・藤が丘(ふじがおか)一―二丁目・もえぎ野(の)・つつじが丘(おか)・梅が丘(うめがおか)北は上谷本村、東は谷本川をおおかたの境として市ヶ尾村、南は北八朔(きたはつさく)村・西八朔村、西は恩田(おんだ)村と接する。上谷本村境を矢倉沢(やぐらさわ)往還が恩田村に通じる。谷戸地帯で、「風土記稿」には会下谷・細木谷・後谷・狐谷・桑原谷・三日月山・台山・歩坂などの小名を記す。近世初めは幕府直轄領。天正二〇年(一五九二)織田氏の旧臣の旗本松波領となり幕末まで続く。田園簿では田一六二石余、畑二一二石余。寛政二年(一七九〇)一二月の村高反別書上帳控(吉浜文書)では田一六町五反余、畑四九町四反余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by