緑区(読み)ミドリク

デジタル大辞泉 「緑区」の意味・読み・例文・類語

みどり‐く【緑区】[さいたま市]


みどり‐く【緑区】[千葉市]


みどり‐く【緑区】[横浜市]


みどり‐く【緑区】[名古屋市]


みどり‐く【緑区】[相模原市]

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日本歴史地名大系 「緑区」の解説

緑区
みどりく

面積:七六・一六平方キロ

市域北端にあり、北は川崎市宮前みやまえ区・麻生あさお区、西は東京都町田まちだ市と川崎市麻生区飛地、南は瀬谷せや区・あさひ区・保土ほど区、東は港北こうほく区・神奈川区に接する。区域全体は多摩丘陵に属して幾筋もの丘をなし、その間に谷戸地形を形成する。中央を北西から南東流する谷本やもと川と西から東流する恩田おんだ川は、佐江戸さえど町の落合おちあい橋付近で合流して鶴見つるみ川となり、北東に流れて港北区へ至る。港北区境に早淵はやぶち川が流れ、谷本川上流には黒須田くろすだ川が注ぐ。中央をほぼ東北から西南に旧矢倉沢やぐらさわ往還(国道二四六号)が通る。現在、矢倉沢往還荏田えだ町で一度交差するが、ほぼ並行して東名高速道路が通る。矢倉沢往還は古代東海道の道筋とみられている。鶴見川左岸に並行して旧八王子道(現横浜上麻生道路)が通る。恩田川両側に東京都八王子市に至る道がある。東部にはほぼ東北から西南に中原なかはら道が通る。

〔原始・古代〕

鶴見川支流の大熊おおくま川流域には、先土器の遺物や縄文中・後期などの竪穴住居跡群が発見された三の丸さんのまる遺跡、縄文草創期の花見山はなみやま遺跡、縄文早・中期と奈良時代の住居跡群の大熊仲町おおくまなかまち遺跡、縄文中・後期の住居跡群の池辺いけべ第一四遺跡などがある。谷本川左岸の丘陵には、縄文から平安期にかけての朝光寺原ちようこうじばら遺跡や縄文中期から平安期にかけての住居跡がみられた上谷本かみやもと遺跡のほかは古墳が顕著で、前方後円墳を含む稲荷前いなりまえ古墳群や朝光寺原古墳群・いち横穴群が知られる。早淵川流域には、縄文前期から平安期にかけての集落跡の長者原ちようじやはら遺跡、縄文後・晩期の集落跡の華蔵台けしようだい遺跡と円墳の矢崎山やざきやま古墳が知られる。鶴見川流域には、縄文前期の馬蹄形集落跡がみられる折本おりもと貝塚、縄文前期から平安期の集落跡の折本西原おりもとにしはら遺跡がある。東端の鶴見川右岸の丘陵には、縄文早期から後期の土器や弥生式土器、平安期の掘立柱建物跡などがみられる東耕地ひがしごうち遺跡がある。

古代には「和名抄」所載の都筑つづき針斫ばさく郷があり、西八朔にしはつさく町・北八朔きたはつさく町辺りがその遺称地とされる。武蔵国分寺跡出土瓦に「針」と篦書されたものがあるので、国分寺造立に関与した郷であろうと考えられている。

〔中世〕

古代末期から中世に成立した郷に黒金くろがね郷・八佐古はさこ郷・佐江土さえど郷・恩田郷・鴨志田かもしだ郷・市尾いちがお郷・石河いしかわ郷・江田えだ郷・津田つだ郷などがあった。また嘉暦三年(一三二八)には恩田御厨が現れ、御厨内に田島たじま郷があった。


緑区
みどりく

面積:三七・九四平方キロ

市の東南端に位置し、東は愛知郡東郷とうごう町および豊明市、北は天白てんぱく区、西は南区、南は東海・大府の両市に隣接している。標高三〇ないし八〇メートル内外の丘陵がほとんど全域に起伏し、その間を東から西に流れるおうぎ川の流域に狭い平野をもつが、下流は新田地帯でやや広い。扇川の西を天白川が流れ、これが南区との境界にあたる。なお東部の丘陵地帯には、多くの池沼が散在している。

原始時代には、西部の平野は伊勢湾に覆われ、当時の集落が営まれた東方の丘陵には、いかずち貝塚はじめ縄文・弥生両時代の遺跡や古墳が多く分布し、各種の土器・石器類を発掘、また鳴海なるみの海中から銅鐸が発見されたという伝えもある。


緑区
みどりく

面積:六六・六九平方キロ

千葉市の南東部に位置し、西は中央ちゆうおう区、北は若葉わかば区、東は東金とうがね市・山武さんぶ大網白里おおあみしらさと町、南は茂原もばら市・市原市と接する。JR外房線、千葉東金道路・千葉外房有料道路などが通る。明治八年(一八七五)当時区域の千葉郡の諸村は第一一大区第一―二小区、同九年に山辺やまべ郡の諸村は第八大区第一小区、市原郡の一村は第五大区第七小区に属した。同二二年の市制町村制施行に伴い千葉郡椎名しいな村・誉田ほんだ村・生実浜野おゆみはまの村、山辺郡土気本郷とけほんごう町が成立。


緑区
みどりく

2003年4月1日:さいたま市の政令指定都市移行に伴い、中央区・北区・西区・大宮区見沼区・南区・桜区・浦和区・緑区を設置
【さいたま市】[変更地名]埼玉県


緑区
みどりく

2010年4月1日:相模原市の政令指定都市移行に伴い、中央区・南区・緑区を設置
【相模原市】[変更地名]神奈川県


緑区
みどりく

1994年11月6日:港北区・緑区を再編成して港北区・緑区・青葉区都筑区を設置
【緑区】神奈川県:横浜市

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「緑区」の意味・わかりやすい解説

緑〔区〕
みどり

神奈川県北西部,相模原市中・西部を占める区。橋本・大沢地区および旧津久井町,相模湖町,藤野町,城山町の町域からなり,市域の約 8割を占める。区域を北西から南東へ貫流する相模川を挟み,北に関東山地,南に丹沢山地が連なる。北で東京都,西で山梨県に接する。2010年相模原市の政令指定都市化に伴い区制。中心地区の橋本は 1990年の京王電鉄相模原線の全線開通に伴い,市中北部の中心地として発展。相模原機械金属工業団地などの工業団地も立地する。西部は山林・原野や農地が広がり,野菜栽培,畜産などが行なわれる。相模湖や津久井湖周辺はハイキングやキャンプなどの好適地。藤野の石井家住宅は国の重要文化財,寸沢嵐石器時代遺跡,川尻石器時代遺跡は国の史跡に指定。南西部は丹沢大山国定公園に,北西部の相模湖周辺は陣馬相模湖県立自然公園に属する。JR横浜線,相模線,中央本線,京王電鉄相模原線,中央自動車道,国道16号線,20号線,129号線,412号線,413号線が通る。面積 253.93km2。人口 17万207(2020)。

緑〔区〕
みどり

神奈川県東部,横浜市北西部の区。多摩丘陵の東部,鶴見川と支流恩田川の中流域にある。 1969年港北区西部が分離して区制。 94年北西部を青葉区,北東部を都筑区として分区。区名は公募による。第2次世界大戦までは林野と畑地がほとんどで,南部の恩田川の谷に主要集落があった。 1966年東京急行電鉄田園都市線の延長に伴い,沿線の丘陵で大規模な宅地開発が行われた。一方 JR横浜線沿線は中小規模の工場の進出で工業地域化していたが,近年田園都市線と交差する長津田駅を中心に市街地化が進む。国道 246号線が通り,東名高速道路の横浜インターチェンジがある。面積 25.51km2。人口 18万3082(2020)。

緑〔区〕
みどり

愛知県西部,名古屋市南東部に位置する区。 1963年区制。 JR東海道本線,名古屋鉄道,国道1号線,23号線が通る。一帯は知多丘陵地帯で,宅地造成が進み,鳴子団地,鳴海団地などが建つ。大高緑地公園は区民の憩いの場として親しまれている。区の中心をなす鳴海地区は江戸時代東海道宿場町として栄え,伝統産業の「鳴海絞り」の産地で知られる。縄文文化遺跡の鉢ノ木貝塚がある。大高城跡丸根砦跡鷲津砦跡は国指定の史跡。面積 37.91km2(境界未定)。人口 24万8802(2020)。

緑〔区〕
みどり

埼玉県南東部,さいたま市南東部にある区。 2003年,さいたま市の政令指定都市化に伴って区制。旧浦和市の東側郊外地域にあたり,南側を JR武蔵野線が通る。国道 463号線が横断し,東北自動車道浦和インターがある。埼玉スタジアム 2002や浦和博物館のほか氷川女体神社,見沼通船堀や大門宿本陣などの名所旧跡も多い。面積 26.44km2。人口 12万8321(2020)。

緑〔区〕
みどり

千葉県中部,千葉市南東部の区。 1992年,千葉市の政令指定都市化に伴って区制。東西に細長い区域を占める。誉田を中心とする畑作地であったが,JR外房線沿線の宅地化が顕著になり,郊外住宅地として発展している。南東部に市営の自然休養施設「昭和の森」がある。面積 66.25km2。人口 12万9421(2020)。

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