日本歴史地名大系 「下谷茅町一丁目」の解説 下谷茅町一丁目したやかやちよういつちようめ 東京都:台東区旧下谷区地区下谷茅町一丁目[現在地名]台東区池之端(いけのはた)一丁目池之端仲(いけのはたなか)町西端の北に続く。不忍(しのばず)池の西岸にあり、西は越後高田藩榊原氏下屋敷、北は下谷茅町二丁目。寛永五年(一六二八)に東叡山寛永寺の門前町屋として起立した。かつては本郷台の崖下、不忍池の岸辺には茅が茂っていた。これが町名の由来である(文政町方書上)。正保江戸絵図には「松平式部大輔下屋敷」すなわち榊原氏の屋敷がみえる。寛文新板江戸絵図になると榊原邸のほかに「キヤウセウ寺」(教証寺)がみえ、不忍池のほとりに「町」ができている。町の規模は南北六一間余、東西は南方二三間五尺・北方一三間(「御府内備考」では二三間)、片側町で裏行は不同。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報