下谷金杉上町(読み)したやかなすぎかみちよう

日本歴史地名大系 「下谷金杉上町」の解説

下谷金杉上町
したやかなすぎかみちよう

[現在地名]台東区下谷一―三丁目・根岸ねぎし三―五丁目

下谷坂本したやさかもと町四丁目の北東にある。正保江戸絵図では北東方の千住へ向かう道(現金杉通)両側金杉町で、東方に「美濃部内蔵同心」と出ている。町の起立は定かではない。正保三年(一六四六)に金杉村の一部が東叡山寛永寺領になり、寺社奉行支配の町並屋敷になった(文政町方書上)。延宝江戸方角安見図には「かなすき丁」と「水谷左京」の屋敷がみえる。水谷左京亮勝宗は当時備中松山藩主。同藩断絶ののちも一族旗本として継続し、安政三年(一八五六)に至っても水谷主水は御先鉄砲頭として一万六千六三〇坪余の抱屋敷を維持していた(諸向地面取調書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む