竜泉寺村(読み)りゆうせんじむら

日本歴史地名大系 「竜泉寺村」の解説

竜泉寺村
りゆうせんじむら

[現在地名]台東区竜泉りゆうせん一―三丁目・千束せんぞく二―三丁目

坂本さかもと村の北東にある。かつて東隣の吉原よしわらなどを含め竜泉寺(現真言宗智山派)の寺領であったことから村名が付けられたという。千束郷に属していたとされる(風土記稿)。田園簿に竜泉寺村とみえ、田五〇石余・畑一七石余、幕府領。貞享二年(一六八五)までに竜泉寺村六一石余が東叡山寛永寺領となり(「東叡山領知目録写」東叡山方書物之写)、旧高旧領取調帳では寛永寺領竜泉寺村一一七石余、幕府領の竜泉寺新田三石余が記される。この間延享二年(一七四五)には南西町屋が起立して下谷竜泉寺町と称した。残った村方の地は東は日本堤にほんづつみ、西と北は下谷金杉上したやかなすぎかみ町・下谷金杉下町金杉村、南は千束村や武家地の間に分散し、境域ははっきりしない。町分の西隅にわずかな飛地がある。寛延三年(一七五〇)検地が行われた。化政期の家数一八(風土記稿)


竜泉寺村
りゆうせんじむら

[現在地名]岡崎市竜泉寺町

おと川支流の竜泉寺川沿いに耕地が開け集落が立地。東は藤川ふじかわ村と桑谷くわがい村、西は尾尻おじり村と坂崎さかざき(現額田郡幸田町)、南は長嶺ながみね(現幸田町)、北は尾尻村と接する。中世、乙見おとみ庄に属すという。享和三年(一八〇三)の御用郡村仮名付帳(上宮寺文書)に「額田郡乙見庄竜泉寺郷竜泉寺村 除地高壱反余正道寺」と記す。松本まつもと丘陵地に、鎌倉から室町の各時代頃と推定される松本窯跡と称する古窯跡が昭和四四年(一九六九)に調査され、無釉陶器の行基焼の陶器が出土している。村名は、字西之山にしのやまにある日蓮宗妙雲山竜泉寺から起こっている。


竜泉寺村
りゆうせんじむら

[現在地名]養老町竜泉寺

清子せいし村の北、養老山地の東麓、扇状地上にあり、北は上方うわがた村。伊勢東街道が通る。慶長郷帳には竜清寺村とみえ、高一二一石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳には竜清村とあり、徳永昌重(高須藩)領。正保郷帳では大垣藩領で田七九石余・畑四二石余、山年貢四石。明治五年(一八七二)の村明細帳によると家数二七・人数一二五、牛四で、中山道今須います宿(現不破郡関ヶ原町)の助郷村。石灰を産した(日本産物志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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